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叱らなくなった管理者の現場リアルー 今、管理者に「叱る」という指導を”何”が阻んでいるのかー

部下を叱らなくなった管理者が増えている。ビジネスの現場で”これではいけない!”と部下の行動に気づきながらも、叱らずに看過してしまう、、それも昇進したばかりの若い管理者ならいざ知らず、40歳代~50歳代の中堅管理者にその傾向が見られる、、言いにくいことであろうとも上手く叱って、部下の成長を伸ばしてやりたいという想いはあるものの、それをやらないのだー 今、組織の要である管理者が、部下を育成するという重要な役割に目を反らし始めているのではないか?、、充分に育成の必要性の何たるかは分かっていながら、何が彼らを後ろ向きにさせてしまったのか、「褒めて、褒めて、育てる」という下から引き上げる指導が主流になる中、”叱る”はこのままさらに減少し、消失していくのかー「叱る」という部下指導を通して見えて来る管理者のリアルを捉えたい。

崩れて来た?人を指導し、育成する日本企業の組織文化

「数字こそ、絶対、、」という成果主義の企業が増えている。ましてや、コロナ禍におけるテレワークの定着は部下の仕事振りが見えない分、成果での評価を促進させる。日本企業が長い時間を掛けて構築して来た人材育成システムは、何を置いても人を育てるという土壌という組織文化を創り上げたて来たと言える。しかし、成果を拙速に求める余り、今、その組織文化が崩れつつあるのではないか?ー その要因と背景に何があるのか、管理者の心の内に迫りたい。

損得感情が頭をよぎる?、、苦悩する管理者の背景にあるもの

要因と背景を3つ掘り下げるとー
①ITやDXの推進による情報の開示・共有化で上司と部下の間に「情報の格差」が無くなったー
 判断材料のベースになる情報に格差がないとはどういうことを意味するのか、、それは仕事上
 の上司判断の巧拙を部下がお手並み拝見とばかりに上司の仕事振りを影で評価する立場に変化
 したとも言える。ましてや、ITに強い部下が多い中でPCトラブル等で部下に頼ることが多い上
 司に至っては部下に気を遣うことになり、上司らしい手腕を中々見せられない、、
 つまり、昨今は管理者として影響力行使の機会が少なくなった状況下と言える。

②グローバル化による大競争はー成果と変革を常に迫り、その対応に追われ、長期的視座で人を
 育てることへのエネルギィが少しづつ削がれて来ているのではないかー
 終身雇用・年功序列の崩壊をもたらしたグローバル化は、その現場最前線で指揮を取る管理者
 が変化対応に翻弄させられる事になる。プレイングマネジャーも兼ねる彼らは心身ともに余裕
 なく叱って育てるどころではない、、仮に叱って部下との関係が悪化し、部下の仕事効率が低
 下すれば自身に跳ね返ってくることになり、それは得策ではないと考えてしまう、、
 追い込まれると、合理性から損得勘定に走る組織に傾きつつあるのではないか、、、

③働き方や仕事に対する価値観の多様化進行の中で、”叱る”という指導のやり方が、今の若者達
 に果たして響いているのか?その効果性を含み、今ひとつ自信が持てなくなっているー
 雇用形態の変化、世代間ギャップによる価値観の相違、うまく手を抜く年上部下等、働く環境
 はより複雑化し、課題山積。特に扱いづらいのが若手社員であろうー少しのことでパワハラと
 主張し、下手に叱ろうものなら、あっさり辞めてしまうことになりかねない、、親にも学校の
 先生にも叱られた経験のない若手は過敏で傷つきやすいタイプがいる一方、何を言ってもどこ
 吹く風で掴みどころなく、中々手強いのは確かだ。だが、数回の空振りぐらいで諦めてはいけ
 ない、、、一方的な叱りだけではないイマドキの叱りの指導手法を学び、極めていこうとする
 姿勢こそが萎えて来ていないか、、、
 
 

人育てに”叱る”は不可欠だ― ”叱る指導の本質”とは

「クレームが入れば、30分以内に現場に行くという原則を守らなかった者がこの中にいる。何を考え、どっちを向いて、仕事しているのだ!管理者失格だ!辞表くらい引っさげてこい!!」研修開講前の主催者挨拶が”お叱り”でスタートしたことがある。研修終了後、叱責の真意をお聴きしたいと思い、「今朝は激怒でしたね、、」と水を向けた私に彼は「緩みや油断は細部からくる。会社が決めたルールや規則に対して管理者が率先して範を示すことが出来なければ組織はあっと言う間に崩れますからね、、」と返してくれた。

人は弱いもので、慣れから「このくらいなら、、」と気が付かない内に慢心が宿ってくる。大きな失敗の痛手は体内に逐次刻み込まれるので、くどくど叱る必要はないものの、小事は、ついつい看過していると、大きなミスや事件に繋がって取り返しがつかなくなる。「叱る指導の本質」は人にいつの間にか忍び込んでくる慢心や甘えに気づかせ、自身の力で覚醒させ、行動変容に向かうきっかけづくりにある。よって、サラッとした注意ではスルーされる、感情表出の力も借りて部下の心底に真っすぐに届く直球で部下と向き合う。上司の本気度がまさに問われる、但し、効果性は高いものがある。



▢ここぞでビシリと叱れる上司を部下は待っている

若手の成長欲求は想像上に高い。それは社内に留まらず、社外にも通用する仕事力や専門性を身に付けたいと思っている。そんな彼らの成長欲求を上手く取り込みながら、日頃は褒めるところは褒め、ここぞという場でキッチリと叱れる上司に若手も周囲も一目置くものだ。関係悪化を過度に恐れて、叱るべき時に叱らない上司は、部下から見ると上司と見なさないのではないかー 今の時代にフィットした効果的な叱り方とその後のフォローを身に付けることで、乗り切って行きたいー

▢ベテラン年上部下には、若手社員とは対極的な叱りなり

若くして管理者に抜擢されたものの、ベテラン年上部下の扱いにストレスためる管理者が急増している。若い管理者に限らず、酸いも甘いも知る彼らの存在は管理者に取って、最も難しい相手である。だからといって、言うべきところでスルーすると、社員に示しがつかないし、かと言って相手のプライドを損ねては後がやりにくくなる、、私の経験からすると、まずは感情的にならず、言葉遣いは丁寧に、核心をチクリと一撃するくらいの嫌味程度で収めることかー
人生経験あるベテランなら、上司なりに扱いを思慮したことを認識し、その後の対応を考えるはず、、若手社員とは対極にある叱りでよいー只、このチクリが効果ないどこらか、さらに増長し、職場に悪影響をもたらすようなら、次は本格的な叱責の段階を考えることになる。

ま と め

”叱る”と”褒める”は指導のツーエンジンと捉えている。部下の個々持味をベースにいつ、どこで、どんな形で、どこに山をおくか等、どう活用するかを実践経験の中から、管理者なりに独自のノウハウ(自分ハウと呼んでいる)を蓄積していくとよい。いずれにしても、褒めるだけのワンエンジンでは、片手落ちで淡白、どこか成長レベルに弱さが出る。又叱るだけも今の時代、中々ついてこない。ツーエンジンの活用で部下を指導、明らかに行動変容し、周囲からも「変わったねー」と言われるほど成長してくれたら、こんなうれしいことはなく上司冥利に尽きる。ひょっとして、”血が通い合う”とはこのような瞬間ではないかとも思えて来る、、それは、悦びもさることながら安堵に近い感情かもしれない、たとえば、、リレーで息MAXの中、次走者にバトンを渡し切り、受け取った次走者が全力で走りはじめた時の安堵(何とか役割を果たした)と悦び(自分も人の役に立った)のような、、

このツーエンジンは人育てに必須の機能と認識して確実に次世代にバトンして頂くことを願っている。(Ⓒ なかざきみねこ)